ご挨拶
組合員紹介
役員紹介
賛助会員
年間行事
お知らせ
JAGATセミナー
大印工 年間行事
入会・問合わせ
関連リンク

平成25年度東和支部秋季研修会

平成25年11月16日(土)〜17日(日)
平成25年11月16日、中原支部長以下14名は秋晴れの好天の中、大阪空港を飛び立ち仙台空港に到着。窓から見えた富士山がとてもきれいでした。バスに乗り第一訪問地の松島海岸へ。途中の高速道路から観た風景は、どこかで見たなと思っていると、ああ、そうだ2011年3月11日の大津波が打ち寄せビニールハウスが将棋倒しのようにつぶされて行った場所だ。バスガイドの櫻井さんが「津波は海岸の松林を押し流し高速道路の低いところを越え山の麓にまで達しました。当時海岸から山の麓までは津波で押し流された車や家等の瓦礫で埋め尽くされていましたが皆さんの努力のおかげでほとんど跡形もなく片付きました。」と説明してくれました。松島には約45年前の高校の修学旅行で来たきりですが、町並みは大きく変わっていました。
五大堂・瑞巌寺を訪れ昼食を取った後、今回の第一の目的「石巻・大震災まなびのプログラム」案内役語り部の斎藤さんに会うべく、石巻へ向かいました。高速道路より街の中へ入るなり道の景色は一変しました。瓦礫こそ片付けられていましたがその現状は物凄いものでした。道路はガタガタ、砂埃はものすごく破壊された建物の跡地には雑草が生い茂りここに本当に街があったのかと目を疑うような光景でした。バスガイドの櫻井さんは、今はこの様な状態ですが、震災直後は、泥と悪臭で息をするのも大変でした。自衛隊・ボランティアの皆さんのお陰でここまで綺麗になりました。後片付けをしているといきなり死体が出てきたりして自衛隊の方もトラウマに悩まされたと説明してくれました。
程なく語り部の斎藤さんがバスに同乗、石巻大震災の語りが始まりました。斎藤さんは震災で実の兄さんを亡くされました。バスガイドの櫻井さんはお母さんが病院より転院途中行方不明になり泥海の中を10日程探し回った経験の持ち主です。とつとつと語られる斎藤さんの目には涙がうっすらと滲んでおりました。
海岸沿いの道路に入ると、水産加工場や、水産倉庫、住宅等あらゆるものが津波で破壊された翌日3月12日(土)の朝見たNHKニュースの映像が思い出されました。ここがその現場である、ここで多数の人が死んだのだ、そう思うと私は背筋が寒くなり手が震えてきました。黒こげになった小学校やぽつんと残された住宅、なぜかその中で墓地ばかりが目に付きました。この現状はとても筆舌では表しきれません。斎藤さんの案内で石巻ボーイスカウトの皆さんが建立された慰霊のお地蔵さんの前で記念撮影をし、2時46分に皆で黙祷をして斎藤さんと別れました。
震災当時のボランティア活動はとても大事な事です。しかし、月日がたち報道も少なくなり、復興途中であるとはいえ巷の話題に上らなくなってきた今を選んで震災地を訪れる事もとても意味が有るのではと思いました。
その日は鳴子温泉に宿泊しました。情緒溢れる温泉街で、とてもひなびたいい所でした。
2日目は「松尾芭蕉・奥の細道」を訪ねての旅です。複雑に入り組んだ滝と瀬が織りなす名勝「厳美渓」に立ち寄り風光明美な景色を楽しみました。そこの休憩所のようなところにおもしろいものがありました。渓谷にワイヤーロープが張ってあり籠が吊るされていて その籠にお金を入れ木の板をたたくと対岸のお店からお団子とお茶が運ばれてくるのです。不思議とお茶もこぼれることなく、おもしろいことをよく考えついたなあと感心しました。
次に世界遺産でもある「毛越寺」(モウツウジ)を散策し、昼食を挟んだあと本日メインの中尊寺に向かいました。金色堂は45年前に来た時は修復作業のため見ることができず今回初となりましたが、この地に当時の人口約700万人の内約10万人の都市を栄えさせた藤原一族の力は凄いものだと感じました。2日目の観光も終え空港までのバスの中で夕日が沈むのを見て、バスガイドの櫻井さんが「震災の日2011年3月11日の夕日が海に沈んだその瞬間、その日なくなった人の魂が一同に集まり、みんなして天に昇って行った。」と語りました。櫻井さんや斎藤さんをはじめ修羅場を経験した人々の言葉には何かオーラを感じさせるような旅でした。 

龍成印刷株式会社 牧戸秀晃

2014年度の行事
トップページに戻る
 Copyright (C) 2008 PRINTER INDUSTRY UNION OF OSAKA TOWA. All Rights Reserved.